昨年、そして今年とダカールラリーに出場し、約9000kmの悪路を走りきった風間晋之介選手と、彼のサポートであり、日本人最初のパリ・ダカールラリー選手だった父の風間深志さんに、2018年のダカールラリーを語ってもらった。
画像: 2018、風間親子プロジェクト2度目の挑戦!
スペシャルインタビュー 再び、ダカールの旅へ<前編>

準備段階からレースはスタートしている

画像1: 準備段階からレースはスタートしている

昨年、初めて挑戦して南米の地を走ったダカールラリー。レース中は「俺たちなんでこんなキツイことをやっているんだろう?」と、他のライダー達と笑い話になったくらい。
「でも、結局みんなダカールに帰ってくるんですけどね」

屈託のない笑顔で風間晋之介さんはそう言った。A級まで上り詰めたモトクロスとは違い、様々な路面、変わる天候、広大な大地を相手に約9000kmを走り抜けるレースは並大抵のものではない。
しかし、彼には目標がある。父、風間深志さんは言わずと知れた、オートバイに乗って北極点、南極点に到達し、エベレストにも登った冒険ライダー。そして1982年、始めてパリ・ダカールラリーに参戦した日本人である。幼い頃から誰もやったことがないことに挑戦する父の背中を見てきた。その父と一緒にダカールラリーを走るというのがプロジェクトの目標にもなっている。そして、昨年のダカールラリーの辛かった記憶と共に悔しい思いも残っていた。

「想定した総合順位より10位くらい下だったんですよ(67位)。初めての参戦だったので、完走することを目標にだいぶ抑えて走りました。前半はわからないことだらけで戸惑う場面もあったけれど、後半から少しずつ分かってきた。そこで自分のペース配分が出来るようになり、順位も上がっていったけど、ミスもありました。ウェイポイント(通過が義務付けられている地点)を3つ落として3時間のペナルティになったんです。それを改善して、後半のペースで走れたら確実に成績を上げられる手応えがありました」

ダカールから帰って来てすぐは「もう走りたくない!」と言う思いもあったが、昨年の経験、目標の夢、もっと上手に走れる自信が交錯する中で2回目の準備を始る。
エントリーを決めて、スポンサーやサポーターなどを巡り、資金集めに奔走。年末が近づくにつれ、焦りを感じながらも、身体とオートバイのトレーニングを行なう。プライベーターは「ダカールへ行くまで」の方が大変かもしれない。条件が整っていなくても、行けるかどうか不透明でも「出る!」と言う強い意志が一番大事なのだ。

画像2: 準備段階からレースはスタートしている

去年が終わってすぐは、もう出たくないと思った。
でもやっぱりみんな、ここへ戻って来る。
それがダカールラリーなんです

画像1: 去年が終わってすぐは、もう出たくないと思った。 でもやっぱりみんな、ここへ戻って来る。 それがダカールラリーなんです
画像2: 去年が終わってすぐは、もう出たくないと思った。 でもやっぱりみんな、ここへ戻って来る。 それがダカールラリーなんです

2018年、2度目のダカールラリーが始まる

今年のダカールラリーは全14ステージ。1月6日から20日までの期間で争われた。スタートはペルーのリマで、ボリビアを通過し、アルゼンチンへと南下するルート。滑り出しは意外にも好調だった。

「ペルーのデューン(砂丘)はすごく厳しかったですけど、実際に走る距離は短かったんです。1日目のスペシャルステージは30 kmくらいしかなかったし、2日目は約300kmですけど、それでも距離は少ない方で、13時、14時にはビバーク(1日のスタート地点、ゴール地点にある参加者のキャンプ地)にたどり着いていました。昨年は前半、こんなに余裕がなかった。だから3日目まで結構のんびりできていたんです」

しかし、その余裕はすべてのライダーに当てはまるのではない。フカフカの砂を上手に攻略できない、目印のない単色に近い砂丘の景色の中で道に迷うステージ。2日目で、2輪と4輪あわせて50台もリタイヤしているのだ。

画像: 2018年、2度目のダカールラリーが始まる

「砂丘はやばいサイズなんですよ。2日目に登って降りようとしたら、とんでもない落差。30m… もっとあったと思います。40°以上あるような急斜面で、すり鉢の中に落ちるようなところもあり、下の方にクルマが小さく見えるんです。それがもうバラバラになっていてフレームだけになっているくらい。多分、勢い良く落ちたんでしょう。びっくりしました。登ってからでしか、その落差が分からないから、見極めがとても難しいです」

砂丘への登りはスロットルを開けきれず失速すると登れずにスタックする。開けすぎて飛び出すと、恐ろしいほどの落下が待っている。このすり鉢では多くの4輪、6輪(カミオン)もハマっていたと言う。序盤のペルーラウンドでふるいにかけられたようだ。

去年のマシンは後方排気になったばかりのやや古いヤマハYZ450F(2011年型)がベースで、キックオンリー。今回は最新1つ前のYZをベースにしたヤマハWR450Fで作られたラリーマシンでセルスターターも付いている。フレームや取り回しの良さ、走破性の良さを如実に感じられたと言う。

画像: メカニックも不眠不休で頑張ってくれた。今年のマシンは新しいヤマハWR450Fがベース。操作性と走破性が良く、トラブルもあったがレースを走りきった。

メカニックも不眠不休で頑張ってくれた。今年のマシンは新しいヤマハWR450Fがベース。操作性と走破性が良く、トラブルもあったがレースを走りきった。

このまま何事もなくスムーズにレースをこなして… と思いきや、世界一厳しいラリーがそんなはずはないのである。

「次のボリビアに入ってからが身体的にキツかったです。標高が高くて、サンドなんだけど、ペルーの柔らかいデューンとは違い、深く掘れて、重いんです。フロントを大きくとられるのをコントロールしながら、当たると岩のように痛いブッシュを避けながら進む。めちゃめちゃ疲れて、バンバン転ぶ。オートバイを起こすのも高所だから呼吸が辛い。少し休み、息を整えて再発進。だからペースが落ちてもいいから誰も走っていない、より楽な方を選んで走ったりしました。ペースは上がらないのに、息が上がるんです」

画像: ずっとアウトドアな環境で育ったので、ナビゲーション能力には自信があった。だから高所でも体調をくずしにくかったし、ラリーの環境に慣れるのも早かったと話す。

ずっとアウトドアな環境で育ったので、ナビゲーション能力には自信があった。だから高所でも体調をくずしにくかったし、ラリーの環境に慣れるのも早かったと話す。

<後半に続く>

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.